翌日の予約の時に専属の看護師に生きられる確率のことを聞いた。
「一般的にだけど、もしもステージ3になっているなら、そしてリンパ腺に転移しているなら、5年間の生存率は60%位ね」と言われた。(注 いまはもっと高いです)
思っていたよりも低い数字が凄くショックで頭がぐらっとした。もっと高いと思っていたので60という数字がグルグル頭のなかで回った。
5年後に100人のうち40人は亡くなってしまうのか、と絶望した。
このあと病理検査でもっと低い生存率になるなんて、この時は考えもしなかった。
抗癌剤もつらそうだ。3週間に1回の治療を4回以上。 手術の直後から始められないそうなので、治療には全部で6ヶ月はかかるそうだ。
6ヶ月。ここで治療しなければいけないのなら、これからのことを考えなければいけなかった。
私だけが1人残るのか、職場を変えてもらい、家族で引っ越しするのかを決めなくてはいけない。どちらにしても息子に説明しなければいけない。
3日にハワイに来て以来、泣いていない日はなかった。
▲ ▲ ▲
翌日、放射線科のドクターSに会った。
とても優しく面白い年配の女性だった。目の前で泣いていた私に、治療の話よりも今までの患者の話をしてくれた。
「腫瘍が10センチもあったのよ、10センチよ!75歳の女性よ。リンパ腺にもすごく転移していたの。その人はもう死ぬって言ってたのよ、でもね、なーんと7年前よ。今でもピンピンしてるわ」とワハハと笑う。
「だからね、誰にもわからないのよ。ガンってそういう病気よ。え?こんな悪いステージの人が?という人が長生きしたりするんだから!」
その後のステージの説明と放射線治療の説明の後に
「私は……死ぬのですか?」と思わず聞いた時に
Yes!と大きい声で言ったので驚いて顔を上げた。
「でもね、99歳位でよ。孫にたくさん囲まれてよ。その頃私はとっくにあっちの世界に行ってるから、待ってるわ」と言ってガハハと笑う。
その瞬間どっと涙があふれた。 こんなに嬉しい言葉を聞いたことはなかった。
アメリカの医者は「だいじょうぶ」とか「生きられる」と絶対に言わない。裁判の国だからだ。(大丈夫)でなかった場合訴えられるからだ。
でもこの医者は「99歳位で孫に囲まれてからにしなさい」と言ってくれた。そして
「外で待ってるあの子!あんなにかわいい子供を残して死ねないでしょう?そうだ、孫を抱っこするのをこれからの目標にしなさい」と言っくれた。
一生忘れられない言葉だ。希望が生まれた瞬間だった。
絶対に生き延びたい。
昨日も今日も泣いていた息子。まだ小さいこの子を置いて行くなんてできない。
中学生になった息子が見たい。
高校生になった息子が見たい。
大人になった息子が見たい。
成長の過程が見られないかもと思った瞬間が一番の恐怖だった。親としてこれほど辛いことはない。
ドクターSと出会えたことで気持ちが大きく変わった。きっと大丈夫だと自分に言い聞かせていた。
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