2017年9月29日金曜日

希望をくれた放射線医 大人になった息子が見たい!!


 翌日の予約の時に専属の看護師に生きられる確率のことを聞いた。

 「一般的にだけど、もしもステージ3になっているなら、そしてリンパ腺に転移しているなら、5年間の生存率は60%位ね」と言われた。(注 いまはもっと高いです)

 思っていたよりも低い数字が凄くショックで頭がぐらっとした。もっと高いと思っていたので60という数字がグルグル頭のなかで回った。

 5年後に100人のうち40人は亡くなってしまうのか、と絶望した。 

 このあと病理検査でもっと低い生存率になるなんて、この時は考えもしなかった。




 抗癌剤もつらそうだ。3週間に1回の治療を4回以上。 手術の直後から始められないそうなので、治療には全部で6ヶ月はかかるそうだ。

 6ヶ月。ここで治療しなければいけないのなら、これからのことを考えなければいけなかった。

 私だけが1人残るのか、職場を変えてもらい、家族で引っ越しするのかを決めなくてはいけない。どちらにしても息子に説明しなければいけない。

 3日にハワイに来て以来、泣いていない日はなかった。


▲ ▲ ▲

 
 翌日、放射線科のドクターSに会った。

 とても優しく面白い年配の女性だった。目の前で泣いていた私に、治療の話よりも今までの患者の話をしてくれた。

「腫瘍が10センチもあったのよ、10センチよ!75歳の女性よ。リンパ腺にもすごく転移していたの。その人はもう死ぬって言ってたのよ、でもね、なーんと7年前よ。今でもピンピンしてるわ」とワハハと笑う。

 「だからね、誰にもわからないのよ。ガンってそういう病気よ。え?こんな悪いステージの人が?という人が長生きしたりするんだから!」

 その後のステージの説明と放射線治療の説明の後に

 「私は……死ぬのですか?」と思わず聞いた時に

 Yes!と大きい声で言ったので驚いて顔を上げた。

 「でもね、99歳位でよ。孫にたくさん囲まれてよ。その頃私はとっくにあっちの世界に行ってるから、待ってるわ」と言ってガハハと笑う。




 その瞬間どっと涙があふれた。 こんなに嬉しい言葉を聞いたことはなかった。

アメリカの医者は「だいじょうぶ」とか「生きられる」と絶対に言わない。裁判の国だからだ。(大丈夫)でなかった場合訴えられるからだ。

でもこの医者は「99歳位で孫に囲まれてからにしなさい」と言ってくれた。そして


「外で待ってるあの子!あんなにかわいい子供を残して死ねないでしょう?そうだ、孫を抱っこするのをこれからの目標にしなさい」と言っくれた。 

 一生忘れられない言葉だ。希望が生まれた瞬間だった。

 絶対に生き延びたい。

 昨日も今日も泣いていた息子。まだ小さいこの子を置いて行くなんてできない。



中学生になった息子が見たい。

高校生になった息子が見たい。

大人になった息子が見たい。



 成長の過程が見られないかもと思った瞬間が一番の恐怖だった。親としてこれほど辛いことはない。

ドクターSと出会えたことで気持ちが大きく変わった。きっと大丈夫だと自分に言い聞かせていた。




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