手術した側の左胸の骨の部分が痛み出した。
乳がんの転移で一番多いのは骨転移だそうだ。 どきりとした。
抗ガン治療中なのに、そんなことあるのだろうか? 腫瘍化の医者に話を聞きに行く。
念のために骨の内部を調べる(ボーンスキャン)をすることになったが、手術側の神経が痛んでいるそうで、よくある症状だそうだ。何年も痛みが残るらしい。
13年後の現在もまだ痛むことがある。神経がずたずたになっているのだと思う。現在のことを言うと、時々骨の近くがきりきりと痛み、切り傷も天候などによって痛む。
時代物のドラマなどで浪人が「こんな寒い日は刀の傷が痛む」というセリフがあるが、あれはこんな感じなのかなと思った。
この頃は何か異常なのではととても心配だった。 情報も今より少なかったからだ。いまではインターネットでも探せばすごく情報が集められるけれど、この頃はあまりにも少なかった。
胸の痛みはあったが、タキソールという抗がん剤は足の痛みだけで、食事の味も戻ってきた。それが飛び上がるほどうれしかった。食べたものの味がする喜びは、この経験をしなければわからなかっただろうと思う。
ただ、足は眠れないほど痛むときもあった。それがタキソールのと特徴なのだそうだ。あとの副作用は腹痛、胸やけなどやはり内蔵関係だ。
やっと普通の夢を見た。カラフルだったが怖くもなく気持ち悪くもなく普通の夢だった。
ずっと悪夢だったので、嬉しかった。自分の中に希望が生まれてきたからだろうか?
(希望)はとても大事なことだと思う。 生きる力が変わってくる。
ハワイに来てもうすぐ5か月になる。
ずっと手術と抗がん剤の治療だった。
あっという間に人生が変わった。
見かけも、もちろん変わったが、性格も変わったと思う。
最初の苦しい抗がん剤が終わってからは、普通のことができるようになり、息子とも毎日ゲームなどして遊んでいる。
少し元気になったママと遊べるからか、息子も泣くことが少なくなってきた。
今回の抗がん剤は副作用は前よりも楽だけど、飲む薬が増えた。前日に飲まなければいけない薬を飲み忘れて受けられないことがあった。血液検査も頻繁にある。
なんといっても抗がん剤はもともと毒ガスから生まれたもので、正常な細胞も殺してしまう。前日に飲む薬を忘れたので亡くなった人がいると聞いた。
それから注射を何本も刺されて針山の気分だ。 手術をしていらい右腕にしか刺せないので穴だらけだ。
今回の抗がん剤は普通の生活が可能なので、買い物にもよく出かけていた。
時々帰ってから涙が止まらない時があった。 健康な人であふれている街に出ると自分だけが病気なような気がする。
顔はむくんでどす黒い。かつらをかぶり、胸を隠すためのシャツを着ていて暑い。体重も増えたのでショーウインドウに映った自分の姿を見てぎょっとすることもあった。
みじめで悲しくなる。
「ママ変わったね」と思わず息子に言ってしまったら、
「ノー変わってないよ。同じハートだから」と言ってくれて涙が出た。私が昔言ったことを覚えていてくれた。
抗ガン剤を受ける部屋が変わっていた。 大きな病院で少し迷った。 新しくできだ病室だ。ここには子供が入れない。
この時にカウンセラーが親のがんの説明などをしてくれたのだが、これが良くなかったような気がする。 やはりあまり現実を突きつけるのではなく、オブラートに包んで話したほうがいいのかもしれない。
アメリカは昔からがんを患者に告知していたそうだ。どんなに末期でも告知する。 それから子供にもきちんと説明する。
それも良し悪しではないかと思う。特に小さい子供には辛いことだろう。本当のことだとしても。どうすれば子供の不安を取り除いてあげられるだろうかとそればかり考えていた。
最近やっと前向きに考えられるようになった。 足が痛く引きずっているが、生活のほとんどのことができる。癌に打ち勝ちたい。
注 今では抗がん剤の副作用もおさえられる良い薬があると聞いています。医療は発達していて、14年前と今では治療も全く違うので、恐れずに治療してくださいね。
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