私たち3人と夫ママと母の5人でワードセンターやアラモアナ、ワイキキといろいろな場所へ行った。
7月4日のインディペンデンツデーにはカーニバルに行き風船を割るゲームやコインを投げるゲームをした。
カーニバルとは移動式の遊園地のようなものだ。 一定に期間だけ開催される。子供たちは皆楽しみにしているのだった。
カーニバルの後の夜の花火をパールハーバー基地のそばの芝生に皆で寝転がって見た。
独立記念日には必ず花火が上がる。
息子はゲームでゲットした大きなクマのぬいぐるみと寝転がっている。
ひゅるるるっと白い光が昇っていく。
一瞬明るくなって皆の顔を照らす。直後に色とりどりの花火が頭の上から降り注ぐようだ。
遅れてお腹に響くどーんパリパリパリと音がする。
火薬の匂いがする。
毎年7月4日に花火を見ていた。
またこうやって家族で花火を見られる日が来るなんて、と胸がいっぱいになった。
あと何回見られるのだろうかと思うと涙が流れたが、今はこの瞬間の幸せをかみしめたい。そう思った。
夫ママは行きたいところを全部見て2週間ほどで帰って行った。
タキソールはやはり足が痛むのだが、我慢できないことはない。 なので一緒にあちこちに行けた。
ずっと看病してくれた母もやっと一緒に出かけられるようになった。
一度だけ外出先で具合が悪くなったのだが、脱水症のような感じだった。抗がん剤中は水をたくさん飲まなければいけない。
この頃、抗がん剤を始めたキャリーはひどい吐き気で何も食べられず、水も飲めずに心臓が石のように固く痛くなったと緊急室へ運ばれた。
脱水で入院となった。キャリーは初めての抗がん剤なので
「どうやってこれをやりとげたの?私は無理かもしれないわ」と弱気になっていた。
母も日本へ帰る日が来た。帰るときはやはり寂しかった。
母2人が帰っていき、急にポンと時間ができて、静かになった。
夜妹の家に電話をしたら、ちょうど母が帰ったところだった。ただの寂しさではない言葉で言い表せないような不思議な気持ちだ。
自分の場所へと帰って行った母親への切ない感情なのだろうと思った。
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