まだ髪も生えてないけれどほっとしている。抗がん剤は脳にも影響を与える。
ケモブレインと呼ばれて、人によっては過去の記憶が飛んだり、忘れやすくなったりする。
私の場合は数字が一切暗記できなくなってしまった。 もともと苦手だったけれど電話番号などどうしても暗記できない。これは一年以上続いたし、今でも苦手だ。
息子はハワイの小学校に通いだしていた。何度も泣いて教室に入れない朝が続いたが、ようやく泣かないで学校に行けるようになった。一安心だ。
強くなってきた。優しい素晴らしい先生に出会えたことが大きかった。そっと見に行くと皆で元気に校庭を走っていた。 もう大丈夫だ。
私も足が痛いくらいで家事などもできる。宿題を見て、夜は本を読んであげられる。これも以前は毎日していたことで、治療中はできなかったことだ。だんだん元のママに戻っていくのは嬉しかっただろうと思う。 私もうれしい。
少しづつ元の生活に戻ればいい、そう思っていたのだが病院であるドクターにそういうと
「まったく同じ生活には戻れないわ、病気をしたんだから」という。
少しがっかりしたけれど、確かにその通りだ。 まったく同じ私ではないけど、もっと良くなればいいのだから。
まだ足はすごく痛むが食事の味もして、吐き気も胸やけもしない。これは本当にうれしいことだった。
そして最後の抗がん剤から約2週間後、頭に産毛が生えてきた。ぽわぽわの小鳥の生え始めの毛のようだ。 ダチョウのひなのようでもある。 赤ちゃんはこういう髪の毛が最初生えるけれど、あの感じだった。
嬉しかったけれど、ちゃんとした髪の毛は生えてくるのだろうかと心配でもあった。
放射線治療
8月の終わり。ついに放射線治療が始まった。
ものすごく簡単に言ってしまうと、残っている可能性のある癌細胞を放射線で(焼いてしまう)治療だ。
放射線は大好きなドクターSなので会えるのが楽しみだった。
一日目なので写真を撮り、放射線の位置を決めるのに1時間かかった。 ずっと裸なので寒くなってしまった。左腕も上げっぱなしで痛い。 胸に直接マジックでたくさん線を引かれた。
それだけでも驚いたのだが、なんと放射線を当てるしるしを小さな点をタトゥーで入れた。 3つの点。ちくりと痛みがあった。
日本の本には(マークを消さないでください)と書いてある。タトウーでマークというのはいかにもアメリカだと思った。
ほくろよりも小さいが1つは今でも残っている。消す人もいるけれど、私はずっと取っておこうと思った。
なんだか誇らしいようなきがするのだ。
「しっかり焼かないとね、あなたの癌は結構攻撃的なのよ!」といって、なぜか私に怒る顔をする。 思わず笑ってしまった。
毎回何か面白いことを言ってくれる。 夫も息子もこの先生が大好きになった。
この放射線治療は33回続く。 SFに出てくるような白い大きな機械の中に入るのでなんだか怖い。
なんと毎日これが続くのだ。
受付で名前を言い、服を脱いで紙のチョッキのようなものを着て用意をする。 技師が来て放射線の機械を操作する。 30分ほどだけど毎日なので大変だった。
数回目ですでに疲労感がでてきた。 これは抗がん剤が残っているせいなのか、放射線のせいなのかわからなかった。 今度の副作用は腹痛だ。お腹をこわす。
最初は痛くもかゆくもないので喜んだのだが、回数を重ねるうちに日焼けのようにな
り、そのうちやけどのようになった。
治っていないがたがたな切り傷の上からやけど。 もう本当にうんざりだった。
めげそうになった時は、胸の中に残っている癌も焼けてすごいダメージなんだ、と思うことにした
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