2017年9月29日金曜日

ダチョウのひなのような最初の毛。放射線治療

 抗がん剤も終わり、落ち着いた日々が戻ってきた。 

 まだ髪も生えてないけれどほっとしている。抗がん剤は脳にも影響を与える。

 ケモブレインと呼ばれて、人によっては過去の記憶が飛んだり、忘れやすくなったりする。

 私の場合は数字が一切暗記できなくなってしまった。 もともと苦手だったけれど電話番号などどうしても暗記できない。これは一年以上続いたし、今でも苦手だ。

 息子はハワイの小学校に通いだしていた。何度も泣いて教室に入れない朝が続いたが、ようやく泣かないで学校に行けるようになった。一安心だ。 

 強くなってきた。優しい素晴らしい先生に出会えたことが大きかった。そっと見に行くと皆で元気に校庭を走っていた。 もう大丈夫だ。 


 私も足が痛いくらいで家事などもできる。宿題を見て、夜は本を読んであげられる。これも以前は毎日していたことで、治療中はできなかったことだ。だんだん元のママに戻っていくのは嬉しかっただろうと思う。 私もうれしい。


  少しづつ元の生活に戻ればいい、そう思っていたのだが病院であるドクターにそういうと

「まったく同じ生活には戻れないわ、病気をしたんだから」という。

 少しがっかりしたけれど、確かにその通りだ。 まったく同じ私ではないけど、もっと良くなればいいのだから。
まだ足はすごく痛むが食事の味もして、吐き気も胸やけもしない。これは本当にうれしいことだった。


 そして最後の抗がん剤から約2週間後、頭に産毛が生えてきた。ぽわぽわの小鳥の生え始めの毛のようだ。 ダチョウのひなのようでもある。 赤ちゃんはこういう髪の毛が最初生えるけれど、あの感じだった。 

嬉しかったけれど、ちゃんとした髪の毛は生えてくるのだろうかと心配でもあった。






放射線治療

 8月の終わり。ついに放射線治療が始まった。

 ものすごく簡単に言ってしまうと、残っている可能性のある癌細胞を放射線で(焼いてしまう)治療だ。
放射線は大好きなドクターSなので会えるのが楽しみだった。

 一日目なので写真を撮り、放射線の位置を決めるのに1時間かかった。 ずっと裸なので寒くなってしまった。左腕も上げっぱなしで痛い。 胸に直接マジックでたくさん線を引かれた。

 それだけでも驚いたのだが、なんと放射線を当てるしるしを小さな点をタトゥーで入れた。 3つの点。ちくりと痛みがあった。

 日本の本には(マークを消さないでください)と書いてある。タトウーでマークというのはいかにもアメリカだと思った。

 ほくろよりも小さいが1つは今でも残っている。消す人もいるけれど、私はずっと取っておこうと思った。

なんだか誇らしいようなきがするのだ。

「しっかり焼かないとね、あなたの癌は結構攻撃的なのよ!」といって、なぜか私に怒る顔をする。 思わず笑ってしまった。 

 毎回何か面白いことを言ってくれる。 夫も息子もこの先生が大好きになった。


 この放射線治療は33回続く。 SFに出てくるような白い大きな機械の中に入るのでなんだか怖い。

 なんと毎日これが続くのだ。

 受付で名前を言い、服を脱いで紙のチョッキのようなものを着て用意をする。 技師が来て放射線の機械を操作する。 30分ほどだけど毎日なので大変だった。

 数回目ですでに疲労感がでてきた。 これは抗がん剤が残っているせいなのか、放射線のせいなのかわからなかった。 今度の副作用は腹痛だ。お腹をこわす。

 最初は痛くもかゆくもないので喜んだのだが、回数を重ねるうちに日焼けのようにな
り、そのうちやけどのようになった。

 治っていないがたがたな切り傷の上からやけど。 もう本当にうんざりだった。

 めげそうになった時は、胸の中に残っている癌も焼けてすごいダメージなんだ、と思うことにした

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