いよいよ抗癌剤が始まる。
前日、血液検査とカウンセリングがあった。この時に(遺伝性の乳がん)かどうかの検査もした。この結果は陰性だったので一安心だ。
抗癌剤を受けるための部屋に9時に行く。 点滴のIVスタート。これはほとんど水分だ。一袋分点滴をして、吐き気止めの薬をもらった。
午後からやっと抗癌剤が始まった。 使ったのはアドレアマイシン(Adriamycin)とシクロフォスミド(Cyclophosphamide)という薬だった。
最初はアドレアマイシンを15分くらいかけて2本分注射で体内にいれていく。赤い液体だ。
その後にシクロフォスミドをIVの袋につけて体内に取り込む。点滴を落とすのを早くすると鼻の奥がツーンと痛くなるので調整してもらう。午後には帰ることが出来た。
その夜、夕方から倦怠感がはじまった。気持ち悪さとそれから、どんどん疲労感へ変わっていき、マラソンの後のような激しい疲れに変わった。
手足のしびれと吐き気。思ったよりも苦しい。 夫はまたご飯を炊いて味噌汁を作ってくれた。冷凍のシュウマイも出してくれたが、それを食べて激しい胸焼けに悩まされた。
翌日も夫はコーヒーを淹れ、トーストを焼いてくれた。食べてすぐに寝てしまった。だるいというよりも
激しい疲労感だ。とにかく眠く、それから吐き気もある。飲んでいる薬もあまりにも多くて覚えられない。1日ふらふらしている。
病院へ注射を打ちに行く。 抗癌剤治療は白血球が減るので、感染などを防ぐために白血球をあげる注射を打つ。10日分持って帰ってきた。
夜眠れない、寝たり起きたりしている。それなのに眠い。
夫の上司の奥さんキャリーの話を聞くと私よりもうんと軽そうだった。喜ぶべきところなのだが、正直自分だけが高いステージのような気がして落ち込む。
気分も落ち気味で、食欲も落ちてきた。口の中の味が変わっている。何を食べても変な味がする。水も飲むたびに苦かったり甘かったりする。
一週間経つとだいぶ気分も良くなってくる。 ちょっと出かけたり、簡単な家事ならできるようになる。私の場合は一週間は寝たきりになってしまい、腕も上げられないので、本を読む気にもならない。まるで人間ではなくなるような感覚だった。
抗癌剤をしながら仕事をしているという人は本当にすごいと思う。
日本から母が来た。
一回目の抗癌剤から一週間経った日に、母が日本から来てくれた。夫が空港まで迎えに行ってくれた。ドアを開けた途端
「わあ、太ったねえ」と言う。 妹から「癌だから痩せてるかもしれないよ、絶対に痩せたねって言ったらダメだよ」と言われてきたらしく、痩せてなかったので思わず口から出たと言っていた。
悪気はないのだがなんでも口から出てしまう人なのだった。
はじめから手術や治療を見ていなかったので(前と変わらない娘)の病気をなかなか理解してくれなかった。昔と同じ調子だ。今思うと理解したくなかったのかもしれない。
数日後、やはり口から飛び出した言葉から大げんかになった。母はいつもの様に軽口を叩くのだが肉体的にも精神的に参っている私には受け止められなかった。
「何も言えない!もう帰りたい」といった母に私も大泣きして言い返して心臓がでんぐり返りそうになった。グリっと動き、バクバクが止まらず息がうまくできなくなった。抗がん剤中で、心臓が弱っていたのだった。
その夜、夫は母と長い間話しをしてくれた。 今までとは違うこと。私がどんなふうに手術などを乗り越えてきたか。
丸
くなった娘の顔を見て「元気そう」だと勘違いしたようだった。実際には抗癌剤でむくんでいたのだが。
すごく元気だった娘が進行性の乳がんで生きられないかもしれないだなんて、絶対に認めたくなかったのだろうなと今なら思う。
何気なく言ったジョークにも傷つくことなどを理解してくれた。感情のコントロールがうまくできないのだ。
前日、血液検査とカウンセリングがあった。この時に(遺伝性の乳がん)かどうかの検査もした。この結果は陰性だったので一安心だ。
抗癌剤を受けるための部屋に9時に行く。 点滴のIVスタート。これはほとんど水分だ。一袋分点滴をして、吐き気止めの薬をもらった。
午後からやっと抗癌剤が始まった。 使ったのはアドレアマイシン(Adriamycin)とシクロフォスミド(Cyclophosphamide)という薬だった。
最初はアドレアマイシンを15分くらいかけて2本分注射で体内にいれていく。赤い液体だ。
その後にシクロフォスミドをIVの袋につけて体内に取り込む。点滴を落とすのを早くすると鼻の奥がツーンと痛くなるので調整してもらう。午後には帰ることが出来た。
その夜、夕方から倦怠感がはじまった。気持ち悪さとそれから、どんどん疲労感へ変わっていき、マラソンの後のような激しい疲れに変わった。
手足のしびれと吐き気。思ったよりも苦しい。 夫はまたご飯を炊いて味噌汁を作ってくれた。冷凍のシュウマイも出してくれたが、それを食べて激しい胸焼けに悩まされた。
翌日も夫はコーヒーを淹れ、トーストを焼いてくれた。食べてすぐに寝てしまった。だるいというよりも
激しい疲労感だ。とにかく眠く、それから吐き気もある。飲んでいる薬もあまりにも多くて覚えられない。1日ふらふらしている。
病院へ注射を打ちに行く。 抗癌剤治療は白血球が減るので、感染などを防ぐために白血球をあげる注射を打つ。10日分持って帰ってきた。
夜眠れない、寝たり起きたりしている。それなのに眠い。
夫の上司の奥さんキャリーの話を聞くと私よりもうんと軽そうだった。喜ぶべきところなのだが、正直自分だけが高いステージのような気がして落ち込む。
気分も落ち気味で、食欲も落ちてきた。口の中の味が変わっている。何を食べても変な味がする。水も飲むたびに苦かったり甘かったりする。
一週間経つとだいぶ気分も良くなってくる。 ちょっと出かけたり、簡単な家事ならできるようになる。私の場合は一週間は寝たきりになってしまい、腕も上げられないので、本を読む気にもならない。まるで人間ではなくなるような感覚だった。
抗癌剤をしながら仕事をしているという人は本当にすごいと思う。
日本から母が来た。
一回目の抗癌剤から一週間経った日に、母が日本から来てくれた。夫が空港まで迎えに行ってくれた。ドアを開けた途端
「わあ、太ったねえ」と言う。 妹から「癌だから痩せてるかもしれないよ、絶対に痩せたねって言ったらダメだよ」と言われてきたらしく、痩せてなかったので思わず口から出たと言っていた。
悪気はないのだがなんでも口から出てしまう人なのだった。
はじめから手術や治療を見ていなかったので(前と変わらない娘)の病気をなかなか理解してくれなかった。昔と同じ調子だ。今思うと理解したくなかったのかもしれない。
数日後、やはり口から飛び出した言葉から大げんかになった。母はいつもの様に軽口を叩くのだが肉体的にも精神的に参っている私には受け止められなかった。
「何も言えない!もう帰りたい」といった母に私も大泣きして言い返して心臓がでんぐり返りそうになった。グリっと動き、バクバクが止まらず息がうまくできなくなった。抗がん剤中で、心臓が弱っていたのだった。
その夜、夫は母と長い間話しをしてくれた。 今までとは違うこと。私がどんなふうに手術などを乗り越えてきたか。
丸
くなった娘の顔を見て「元気そう」だと勘違いしたようだった。実際には抗癌剤でむくんでいたのだが。
すごく元気だった娘が進行性の乳がんで生きられないかもしれないだなんて、絶対に認めたくなかったのだろうなと今なら思う。
何気なく言ったジョークにも傷つくことなどを理解してくれた。感情のコントロールがうまくできないのだ。
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