最後の抗がん剤の前に基地の施設からビーチエリアののタウンハウスへ移れることになった。こんどはここに3か月ほどいることになる。
日本からの荷物はコンテナに入ったまま港に保管してあった。 これは家が建ったら運び込まれることになっている。
息子は3年生からここの小学校へ通うことになった。ハワイでは8月の初めごろから新学期になっていたので、夫が連れて行ったのだが、やはり初めはクラスに入れなかった。
夫が一日付き添った。
闘病中の引っ越しは足を引きずりながらで大変だったが、やることがたくさんあって、嬉しかった。タウンハウスは2階があったので2階の寝室にタオルやシーツや洋服を一日運んだ、
施設では借りていたお皿やキッチンのものが、ここにはないので少し買った。きれいなタウンハウスで普通の生活ができることが本当にうれしい。
ついに最後の抗がん剤をする。
うれしくて叫びたいくらいだ。
前日の腫瘍科医は忙しく機嫌も悪く、書類もなくし、リンパ腺の転移の数も間違えていた。 自分で見つけたくせにと思う。 この人に会うと余計に具合が悪くなってしまう。
前夜と早朝に薬を2回飲み、抗がん剤室へ。
大きい部屋にうつってから2回目だ。たくさんの人がいる。 この人たちは皆癌という病気と闘っている。 顔色が皆似ている。 灰色のようなどす黒い感じになる。
最後の抗がん剤治療ということで、病院で知り合いになったケーシーが電話をくれた。
この女性は20歳から5回も違う個所の癌になっている人だ。
初めて手術した時に痛くてうなっているときに声をかけてくれたのだった。
「どこの手術なの?」乳がんで胸なのと答えると
「何回目?」と聞いた。 初めてよと言うと
「私なんてねー5回目!」本当に驚いた。
それから病院で会うたびに彼女の話を聞いて、勇気をもらった。
そのケイシーが「おめでとう」と電話をくれたのだった。
「ケイシー本当にありがとう。泣いてた私を励ましてくれたよね。手術の後で」
「どういたしまして。ここまで本当によくやったわね!誇りに思うわ」と言ってくれた。
病院に通っている間にいろいろな人と知り合いになる。 中には苦手な人もいたが、優しく思いやりのある人も多かった。 ケイシーの5回の癌の話には本当に勇気づけられた。
私も治療が終わったら、できるだけ多くの人に自分の話をしようと思った。
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